キョウト読書ログ

読書キロク。

君のクイズ 小川哲

最後の一ページを見て、小川哲だいすきだと思う。

無我夢中で読んだ。物理本で買おうと思ったらAmazonのセールでKindleで半額になっていたので思わずそちらを買ったが、物理本も買おうと思った。

小川哲の作品において、皮肉さと前向きさ、そして他者という存在の理解できなさが、本当にちょうどいい。会ったら思わず握手を求めてしまうと思う。そうして小川哲なら、作家を偶像化するわたしを脳内でまるっと戯画化するんだろうと思う。

あーー、面白かった。

 

 

 

熱源 川越宗一

自分の体の半分が、故郷で殺しあっている。身は、心は、どこに置けば良いのか。故郷で暮らすというただそれだけのことが、これほど至難のことなのか。

今見ると雪原と木の表紙なのに、なぜかタイトルと青で熱帯の話だと思って読んだらアイヌの話でびっくりする。

日本とロシアの狭間にあるアイヌ。登場人物たちのアイデンティティのゆらぎに胸がつかまれる。戦争の描写を頭を掠めたのは、やはりウクライナとロシアのこと、そしていままさにミサイルを手にするために増税しようとしている日本のことと、先日見た『西部戦線異状なし』のこと。

戦争、反対、そう思って走る東大路。

 

 

異常【アノマリー】 エルヴェ ル・テリエ(加藤かおり 訳)

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めちゃくちゃ面白かった。すごい。

MARUZENで「青空の下、顔のない二人が交錯する」表紙の本を探す。

 

しかし全然見つからない。なぜだ。と思ったら顔を上げると推し文句で埋め尽くされた赤い表紙で『異常』と書かれている本が目に入る。なんと、帯が拡張して二重表紙のようになっている。なんなんだこれは。と思って買う。

東京出張に行く移動時間で読む。最初は何を読まされてるんだ?と訝しい。しかし、こういうのはカマシなのよ、まず、と読み進める。

一章の終わりで事態を理解し、そこから一気に読み進めた。マジでサイコーだ。もう一回まっさらな気持ちで読みたいよ。

 

統合失調症の一族:遺伝か、環境か ロバルト・コルカー(柴田裕之 訳)

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ハヤカワのTwitterで見て、どうしても読みたく、大垣書店で探す。ここの大垣書店には「ちょっといい棚」があり、それが本当にちょっとよく、それ以来選書を信頼しているため、ないわけはないと思って探すがない。なぜだ。店員さんに聞くとなんと在庫切れ。他店舗でもほとんどなくお取り寄せ、ということで、平積みされていた『われら闇より天を見る』を買ったのだった。

どうしてもはやく読みたく、仕方なくネットで買う。しかし4000円弱する、統合失調症が多発する一家についてのドキュメンタリーという建て付けの本書が在庫がないほど売れているの、いったい何が起きているのだろうと思う。

もちろん、内容は充実していて、タイトル通り、さまざまな研究を引き合いに出し、一家を通じて、統合失調症について、環境、遺伝的要因の両面で検討していて、すごい、面白い。が、なんとなく、統合失調症という今は自分と関わりのないところにある病をどこか消費的に見てしまったのではないかな、とかも思う。

われら闇より天を見る クリス・ウィタカー 鈴木恵

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信頼している本屋さんの一つである大垣書店烏丸三条店で平積みされていたので買う。

内容はもちろん、主人公のダッチェスの人物造形がとってもとっても魅力的で、悪態のつき方も思い切っていて最高。しかし、帯で最後の一文を煽りすぎで、ちょっと最後拍子抜けというか。

家族最後の日 植本一子

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『かなわない』が面白かったので、その後を、ということで買う。『かなわない』はちびちび読んでいたのに対し、今作は章ごとにガッと読まねばならぬ、と思わされる勢いがあり、一気に読んでしまった。

ECDって聞いたことあるんだよなあ、とずっと考えていて、試しにググったら、高校時代に大好きで繰り返し聞いた加藤ミリヤの「ディアロンリーガール」のネタ元の人で、全然知らない人でないかんじがしてしまいがっくりくる。

高校時代の私の恋愛観は加藤ミリヤ椎名林檎江國香織の作品によってできていたことを思い出す。

なんと、feat. ECDで「新約ディアロンリーガール」というのがリリースされていたので聞いてみる。久しぶりのミリヤの声。泣ける。

youtu.be

きみだからさみしい 大前粟生

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大前粟生はいつもやさしい筆致でやさしくない世界をちゃんと書く。LGBTQというワードがごく一般的になり、受容されるようになってきているが、そうした話と実際誰かを好きになるというのはまったく別物で。どんなに頭でわかってても、好きな人が思ってもいないセクシャリティだったりしたらどうしていいかわからなくなって混乱する。

自分と同じように自分と同じだけの好きがほしいとか思っちゃう、ナチュラル暴力性を、一般論ではなかなか語れないよな、とあらためて思ったのだ。